1. 生きてるっていう感覚がイマイチわからない。
なんで今私は息をしてるのか、なんで体を動かせるのかわからない。(物理的なものとは違う)
人生が三人称視点で進んでるというか、「自分として自分の人生を生きる」じゃなくて、「『自分』という肩書の生き物を、まるで私が幽霊になったみたいに見下ろしてる(「人生」という活動写真を見ているような)感じがして気持ち悪い。
体と意識は別物なのかもしれない。
あとは、いつも夢を見ているようで、目の前の光景に現実味がない。
今こうやってこんな世の中で生きてるのも、夢だとしか思えない。
周りの景色も、自分も含めほとんどのものが幻覚に見える。言ってしまえばVRみたいな感じ。
ていうか、夢であってほしい。このことが。この状況を現実だと思いたくない。
現状のこのダメな「自分」は他人であってほしい。
これが自分だと認めたくない。
なんでこんなことになってるのか分からないし、考えたくもない。
できれば皆にはここにいる私は偽物だと思って欲しい。
こんなのは私じゃなくて、本物の私はもういないから、一生化けの皮を被って生きてる人間なんだと思っててほしい。
ただ、そんな私でも正直になれたときは、「本物が戻ってきてる」と喜んでもらいたい。
最初の話が本当にこれで伝わるか分からないから例えを書くと
・スプラでいうメモリープレイヤーで他の人の視点で見てるような、そんな感じ。
・自分が人形だとして、それを動かしてるような人生

あとは、脳内の声のこと。
悪口とかは言われないけど頭の中には「人生」っていう一種のキネマみたいなものを私と一緒に見てる傍観者がいっぱいいて、私がなにか面白いものを見るとその人たちも一緒に笑う。私が失敗したときには笑い話にして茶化してくれる。
そういう傍観者の他には、親友みたいなのが一人だけいて、そいつはどこかで見たような顔(しょせん妄想の産物だけど)をしてて、すごく懐かしい感じがする。
そいつはいつも私のそばにいて、私が喜ぶと一緒に喜ぶし、もちろん悲しいときは私に同情してる。私が遊び始めると「私も入れて」って言ってきてかわいいから嬉しいんだけど、やっぱり実際にいる「本物の友達」ではなくて想像の中にしかいないから、どう頑張っても会えないことに寂しく思っている。
でもブランコ乗ったりすると、隣を見れば絶対そいつがいるから、実在はしなくてもやっぱり私の親友だってことは間違いないと思う。
実はその子は、前世で仲が良かった人によく似てる。
なんなら私の代表作「夕間暮れの子供」は、その記憶をもとにして書いたものだ。これを知っていて読むのと、何も知らずに読むのとでは違うだろう。

黒電話のダイヤルを回す時、友達(架空)のことが思い浮かんだ。
あの子に繋がったらいいのに、実際の声が聞けたらいいのにと思う。
けど私が聞けるのは、記憶の中のあの子の声だけ。

私の中の人はかわいそうだ。(私の前世の人らしい)
今年で91歳になるはずだったが、13歳のときに空襲で、一緒に暮らしてた大事な女の子とも離れ離れになって、そのまま攻撃を受けて散々逃げ惑った挙げ句に片目を飛ばされて最後は完膚なきまで焼かれて亡くなった。
本当に怖いほど鮮明に覚えてる。
無意識のうちに思い浮かんでしまう。
物心つく前から夢にも出ていた。
名前がついてるか心配だから、とりあえずもう一人の私は高橋と名付けた。
これが誰の記憶なのかは分からないが、高橋くんのものである。
この体を使いたいと言っている。もっと生きたいと、僕の体を返せと言ってる。
けれども彼の生きていた時代とは違うから、私の体に入ってきたときはそのギャップで「家に帰れない。」と言う。
だから私は帰りたくなる。
彼の見ていた世界に、なるべく近づけてあげられるように、ちょっと懐かしい感じの街並みを歩いてみたり、昔っぽい服を着たりして極限まで彼の見てきたものに近づけてやってる。
しかし、学校にいるとそれができない。
よりによって私が入学した年に制服が改悪された(現代風になってしまった)し、家の周りの古い建物が次々と壊されてなんか豆腐みたいな形の新しい家ばかり建っていく。もう頼れるのは我がボロ屋だけだ。
寂しいと彼は泣いている。
かわいそうでならない。わざわざ私の体を借りてくれてるのに。
ちなみに最近は高橋くんと今の私が同時にこの体の中に入ってる(二人乗りみたいな)状態。
だから、その気になれば現世の私と高橋くんとで会話することもできる。
私が思うにすごく真面目で、他人想いの人だった。友達なんてのがいない陰キャの私に入ってきてくれたんだよ。
なぜ現世の私はこんなにも弱くて醜いのかと思う。
どうか、生きられなかった彼の支えになってやりたい。
それと、高橋くんはその、大事な女の子をずっと探してるみたいで、会いたいと言っている。
実際、学校などで私の体を使ってるときにその子によく似た女子に会うと懐かしくなるらしく、私の体は思わず叫んでしまう。
ちなみに、その子は高橋くん曰く「あの子は寂しがりやだから、はやく見つけてあげたい」とのこと。
実はいつもついてきているのだが、実際に会えているわけではない。幻覚というか、きこえる声も全て幻聴。
なんでかって、もういないからだ。それは高橋くんも分かってて、だからこそ会いたいと言っている。
かわいそうでならない。所詮いつもここにいるあの子は、彼があまりにも強く「会いたい」と思うあまり作られてしまった幻覚にすぎない。
なぜこんなにも、今の世の中は私たちに都合の悪いようになっているのかと思う。禁断症状が出るくらいだ。
体を使わせたくない(彼のために)ときもあるが、下手に断って悲しませてもいけないので、私の体で動きたいといった時には従うしかない。
ふたりがまた会えて、全て満足して、私がこんな思考をやめることができれば、全部そこで終わりなのに。
でもそれができない限り、私は哀れな高橋くんと架空の少女の友達、体を一緒に使う者として生きていくしかないのだ。
なんという、八方ふさがりな人生。やはり、映画を見ているようだ。

彼だって子供です。同じくらいの人間として、大切にしてあげたいのです。
大人のくだらない争いやら、私のこの変な思想やらにも負けないように。そのために来てくれたんだと。

こういうのがあったからこそ、戦争がとても怖い。
簡単に「死ね」だとか「死にたい」だとかいう人が許せない。人が人を傷つけるなんて、絶対にあってはならないのに。
「死ね」なんて軽々しく言うな。命を軽く見るな。
「死にたい」なんていうな。生きたくても生きられない人がいる。彼のように。
くだらないことで反発して殺し合うなんて、人間らしくない。
動物とはちがって 、考える力があるのに、なぜ防ぐことができないのか。
同じ人間として、恥ずかしく思う。

私と彼が同居している限りは、飛行機はおろか、光さえ怖がるだろう。
未だに敵に見つかることを恐れて、灯火管制のごとく家の中の電気を全て消さないと落ち着かない。
サイレン、足音、飛行機の音、明るい電車、人込み、白黒写真…なにもかも怖くて吐き気がする。
高橋くんには、二度とこんな怖い思いをさせたくない。
もっともっと堕落して、慰めてやんなきゃ。